応募作品選者の評 - 川柳の部
見渡せば 金も仕事も なかりけり 多可高校 村井 和幸 申すまでもなく藤原定家の一首「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮」のパロデ イで、ただそれだけのことなのだが、原作がなんといても権威ある作なので、思わずニヤリとしてしまう一句である。 内容以上に、パロデ イの面白さで読ませる川柳がもっとあってもよいと、改めて感じた次第である。(見目)
生と死を論じて放屁ふかし芋 兵庫商業高校 高田 武明 生と死を論じつつ、にこりともせず放屁する。形而上的な命題と形而下的な現象。その落差。その対比が滑稽さを生む。ただ作者は恐らく後者に力点を置きたがっている。「ふかし芋」がそのことを立証する。この人は、人を食うことも好きなのであろう。
晩年の山田風太郎に似た気配がある。(林田)
局長がポスト使って青くなり 松陽高校定時制 永井 哲夫 ポストが郵便入れと地位をかけた言葉とは誰でもわかるが、時事問題を笑いとばすのは川柳の真骨頂である。国民の声に押されて議員は辞職したが、郵政族や族議員の集票の構図が変わったわけでも、メスが入ったわけでもない。わずかな一握りのボスが青くなったり、しょんぼりしたりはするだろうが、人参を鼻の先にぶら下げて、わずかなエサを利益にして誘導する、そんな構図に絶対多数がノ−という返事をつきつけられる日はまだしばらく先なのか、いやいや悲観は禁物。 日本歯科医師協会の会費の多額が毎年ある政党に渡されていることを知った歯科医師が、医師会を脱退するのにどれだけの勇気がいることか。長いものに巻かれない生き方か、長いものを長いままで放っておいて我慢する生き方か、悩みはつきぬ。 昔の小学生が帽子をかぶったような赤いポストが、安芸の宮島で現役で働いていた。速達専用の青いポストは今いずこ。(糟谷)
大森の貝塚あとに「皇祖」なく 書記局 西本 利之 都内、大森貝塚は縄文時代の遺蹟。縄文時代の正確な期間は今もって確定されていないが、紀元前数千年から、同じく三世紀ごろまでと推定されている。 伝承上の「皇祖」が仮に実在したとしても、常識的に見て大森貝塚に「皇祖」がいた可能性は限りなくゼロに近い。 事実かどうか確認されていないことを、作為をもって、児童・生徒に教えられようとしている今、まことにタイムリ−な一句であると思う。 また、この一句は単に時事的なことを突いているだけでなく、(残念ながら)かなり当分の間は普遍性を保つこととなろう。現在、王室を保存している国は全世界で、多めに見積もって十パ−セント弱ぐらい存在している。(見目)
初孫やカルガモの如くトイレまで 書記局 西本 利之 「這えば立て、立てば歩めの親心」というのは、一日も早い成長を願う親心だろうが祖父母の孫を見る眼はまたちがう。 「いつまでもあらまほしき今の如」 しかしこれは言ってはならないことで、口には出来ぬ。悪たれをつき、離れてゆくのを成長だと知りながら、現在のこの一瞬に酔い痴れたい。初孫に向かうこんな気持ちがどの句にもあふれていてほほえましい。「カルガモのごと」とは、孫のよちよち歩きを称したものとの見方もあったが、「初孫ややんややんやで立ち歩き」と、孫をとり囲んでいる様子や、「抜け駆けねらって自己紹介」と、自分の姿を離れて見つめ苦笑している姿を思い浮かべると、これは一列になって、カルガモが宿替えするあの姿をだぶらせて、トイレにくっついて行く自分達を笑って欲しい、そう見る方がおもしろいと思う。 親バカならぬじじバカ。 明日は天気かな、さあ愛する力の残っているうちに、やるぞッ。
(糟谷)
ガキだけでない暴走新世紀 松陽高校定時制 永井 哲夫 ガキの「暴走」も許せない。しかし、もっと許せない「暴走」がある。テロ特措法。 自衛隊の海外派遣。憲法九条の形骸化。戦後五十六年は、何だったのか。あっという間の「暴走」。二十一世紀初頭、小泉政府の罪業は重い。(林田) |