地域からの発信
満身の怒りを込めて問う こんなにコケにされてもまだ国民は黙っているのか?(神戸県立支部)
2007-04-24 00:00:00
満身の怒りを込めて問う

こんなにコケにされても、
まだ国民は黙っているのか?

国会暴走はどこまで続くのか

 前回のニュースで、憲法改悪へと最短距離で繋がっていく改憲ショートカット法案である「国民投票法案」が衆議院で強行採決され、参議院に送られた、ということを報告した。そして今、参議院特別委員会では、「充分な審議を尽くした(70時間程度)」という事実を作るために、1日6時間・7時間の、野次と居直りが同居する「審議」が続いている。

 そして今回、さらに3つの、与党による国会暴走について報告しなければならなくなってしまった。一体どこまで日本は荒んでいくのか。

■ 一つめは、「国民投票法案」が強行採決されたのとちょうど同じ日に、「米軍再編円滑化法案」が強行採決されて参議院に送られたこと。この法案は、政府が関係自治体に在日米軍基地再編への協力計画の策定を命じ、その進捗状況によって特別交付金を交付する、という内容だ。
 つまり、「札束でほっぺたを叩いて命令に従わせる」という、ギャングまがいの法案だ。さらに、グアムに建設される米軍司令部の建設費用を、日本が大部分負担させていただきます、という内容でもある。

 一体、この異常なまでに売国奴的な法案の醜悪さについて、なぜマスコミは一切批判報道をせず、政府の美辞麗句を垂れ流すだけの(大本営発表的)翼賛へと自己規制してしまったのか。
 いつのまに、日本という国はこんなにも荒んでしまったのか。

■ 二つめ。「少年法改悪法案」が、18日、衆院法務委員会において、政府が修正案を提示して数時間後!!、強行採決され、翌日衆議院通過、参議院へ送られた。

 私たちの「体感社会不安」は、どんどん大きく煽られている。街のあちこちには監視カメラが設置され、多くの自治体で、情報と権威を警察に集約する「生活安全条例」が制定されている。しかし、派手な報道がされる一方で、少年犯罪件数は決して増えていない。

 一体いつの間に、私たちの社会は、社会不安によってのみ肥え太る「監視社会=警察(公安)国家」へと、つまり戦前の体制を復元し始めたのか。戦後60年を超えて平和だった筈の日本の「戦後」が、なぜ、新たな「戦前」とさせられつつあるのか。

 「少年法改悪法案」とは、私たち(大人たち)の責任を棚上げし、私たちの感じる社会不安を、(犯罪が増えている客観的データもないまま)子どものせいにして、「触法少年(おおむね12歳以上≒小学生高学年)」を社会的に排除すべく、警察に強制捜査権(長期拘束・無権利状態での取り調べ)を与える法案である。そのように子どもを排除する論理によって、一体どんな未来が描けるというのか。教師である身にとっては、はらわたが煮えくりかえる暴虐法案だ。私たちは、本当に私たちの子どもたちに「戦前」を受け渡すつもりなのか。

 そして、その一方で、私たち大人を取り締まるために、別の法律「共謀罪(戦前の治安維持法の再来)」を成立させるべく、審議入りを準備している。そして、その排除基準は、常に権力側(政府、警察・公安)にある。私たちには、「何故?」がわからない。

■ 三つめ。17日、今国会(会期:6月下旬)での成立に間に合わせるために拙速を極めた教育関連3法案の審議が始まってしまった。

1月24日:教育再生会議第1次報告
2月 6日:文科大臣による中教審への審議要請
2月22日〜28日:パブリックコメント期間
3月10日:たった一ヶ月で中教審が答申を文科大臣に提出
      (それ以降、たった一ヶ月で複雑に絡み合う法案整備)
4月13日:集中審議をするための衆議院教育再生特別委員会の設置、17日:審議開始。
 教基法改悪による教育現場の統制の具体化に向けて、「教育の没落」がいよいよ始まろうとしている。私たちは、上から言われたことを「ハイハイ」と何でも受け入れるロボットであっていいのだろうか。決してそんなことはないはずだ。
 たとえば各学校の分会が、暴走・責任放棄をしがちな校長に対して対等な議論をし得ているのは、教師が決してロボットではなく、平和と人権と民主主義を守らなければならない義務と責任(使命)があるからこそなのだ。

 教基法改悪の主眼のひとつは、教師の自主性を取り締まることだった。つまり「教師はお上の言うことを聞け」ということだ。教師に対する管理が浸透した学校現場で、一体どんな重圧が生徒たちに向けられるのか、私たちは既に、例えば「神戸高塚高校事件」で体験しているはずだ。

 私たちの健全な歴史と社会の未来を守るための唯一の方法は、「子どもたちを守る」ことなのではないのか。そして、それこそが、「教え子を二度と再び戦場に送らない」と誓った私たち教育実践者の、崇高な使命なのではなかったのか。

政府案について
(1)教員免許に更新制を導入する「教員免許法改正案」

 10年ごとに更新、30時間程度の講習を義務づけ、「不適切教員」の排除(「不適切」の基準は、権力側が決める)。47教基法にあった「自主研修」の理念は失われ、国家権力(政府)に服属することが前提とされている。そして、教師は、教育実践者から、外部からあてがわれた知識の移入者に変わってしまう。
(2)文部科学相に教育委員会への指示・是正要求権を与えることなどを柱とする「地方教育行政法改正案」
 「国が教育に責任を持つ体制」と伊吹文科相は言っているが、要は、教育の地方自治は許さない、と言うことだ。教育長の権限を強化し、結果、教育委員会の文科省への依存度を強化することをも含んでいる。
(3)副校長や主幹教諭などを置けるようにする「学校教育法改正案」
 「教育課程に関する事項」の権限を文科大臣に与え、学習指導要領の法的拘束力を正当化し、同時に「学校評価・公表」の義務を通じて、学校を直接支配することさえできるようにする(「文科大臣の定めるところにより」、その教育活動と学校運営の評価を行なうこと、および、その評価を公表すること)。
 また、学校を階層的に構成し、教師の仕事を、校長以下、副校長→主幹教諭→指導教諭→教諭という上意下達の構造の最下層に位置づけようとしている。
 子どもとの関係でその教育実践に問題がない場合であっても、この上意下達に背く教師に対する「分限処分」=「免許取り上げ」を可能とする。
 高校における大学準備教育と職業準備教育の分化の正当化。

県高支部ニュースNo.3より

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