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総合学科を中心に、教育の特色化と学力の低下について

2001年10月15日


基礎的な学力(=基礎的な知識や技能)がしっかり身についていない、子どもたちが勉強しなくなった、大学生の学力低下が著しいなど子どもたちの学力低下が大きな社会問題となっています。文部省や県教委は、教育の特色化が学力問題を解決する「切り札」であるとして、総合学科や単位制高校を大いに宣伝し広めようとしています。しかし、後に見るとおり、教育の特色化は、学力の低下をいっそう深刻化させるといえます。

1.日本の子どもたちの勉強時間は世界で最低レベル

日本の総務庁や国際教育到達度評価学会などの調査によれば、日本の子どもたちは、「世界の中で最も勉強しない」という結果が出ています。

○総務庁調査(1993年)…家庭での学習時間(対象:小学1年〜中学3年)

韓国  :2〜3時間に2/3の子どもたちが分布
アメリカ:1〜2時間に2/3の子どもたちが分布
日本  :30分〜1時間の間に2/3の子どもたちが分布
*日本は、塾を加えると30分程度増える

○IEA(国際教育到達度評価学会)調査(1995年)…校外(塾含む)での学習時間(対象:中学2年)

世界平均:約3時間
日本 :2.3時間 比較可能な39カ国中30位
※1999年調査の速報値では、日本はさらに学習時間が低下し、比較可能な38カ国中最下位

○東京都生活文化局調査…中学2年生自宅学習時間

  1992年 1998年
自宅学習時間0時間 27% 43%
自宅学習時間3時間以上 14% 5%
塾を含めた校外学習時間 66分 56分

○第3回国際数学・理科教育調査(1995年)…対象:中学2年

学力成績   41カ国中数学、理科ともに3位(ただし応用問題は平均以下) 
数学が嫌い  41カ国中2位
理科が嫌い  41カ国中1位

○OECD、一般市民の科学知識と関心度調査(1996年)

科学知識      先進14カ国中13位
科学への関心度  先進14カ国中14位

以上の諸調査からおおよその傾向として、

  1. 日本の子どもたちは世界で最も勉強しなくなっており、勉強嫌いになっている
  2. 強制によって嫌々勉強しているため、公式や暗記の分野では高得点を維持しているが、応用力がなく国民的な教養としては定着していない

ということがいえます。

上記の問題以外にも、「分数ができない大学生」などの著書が大きな話題になったように、いわゆる有名大学の学生、すなわち「勉強をしてきた」子どもの中に「基礎的な学力の欠如」という問題が生じているとの指摘もあります。また、小学校高学年から、中1にかけて勉強する子としない子にはっきり分かれ始め、7割近い子どもたちが勉強を投げ出してしまう傾向にあり、その傾向は、所得の低い階層ほど極端に現れてきているとの統計資料もあります。

日本は、国連「子どもの権利委員会」から「教育制度が極度に競争的であること、その結果、教育制度が子どもの身体的及び精神的健康に否定的な影響を及ぼしていることに照らし、… 過度なストレス及び不登校を防止し、かつ、それと闘うための適切な措置をとるべき」であると異例の勧告を受けました(1998年)。勧告の指摘どおり、日本の教育制度は、極度に競争的です。しかし、現在の教育制度は、もはや子どもたちを勉強にかりたてる「装置」としての機能すら失い、「勉強しなければ」という強迫観念と強いストレスを子どもたちに与え、その健全な発達を歪める最悪の結果をもたらしているといえます。

2.文部科学省の方針転換

文部科学省は、深刻化する教育の困難を打開するためには、小手先の改革では対応できないとの認識に立ち、1990年代に入り戦後教育の大転換をはかりました。どのように方針転換を図ろうとしたのか第14期中教審答申、新学力観を通して見てみたいと思います。

(1)方針の大転換…第14期中教審答申(1991年)

第14期中教審は、「偏差値偏重や受験競争による心的抑圧から生徒を解放して、そ れぞれの個性を尊重し、人間性を重視する教育をめざすことが大切である」として、従来の教育方針の大転換を打ち出しました。

国民に対して⇒「進学が生徒や親の最大関心事であり、生徒の進学実績を中心に学校を評価するような社会風潮に誰も疑問を抱かなくなっている。そして、この年齢層の青少年に大切な人間教育や心身の健全な育成が、ともすれば軽視されがちになっている」として意識変革を求めました。

高校教職員に⇒「選ばれた者が進学する学校との意識が抜け切れていない」「教育課程の編成や教科書の採択に関し、生徒の実態に関わりなく、進学を強く意識した背伸びが認められる」「選択科目の拡大に必ずしも積極的でない」と批判しています。

今後の高校教育⇒「生徒一人一人に対して、自分の興味・関心や進路に基づく主体的な学習を促し、それぞれの個性を最大限に伸長させるための選択幅の広い教育を推進していくことが大切である」と強調しています。そして、「普通科と職業学科とを総合するような新たな学科を設置することが適当」であり「今後、高等学校の整備・再編を進めるにあたって、職業科を転換したり、普通科における職業教育の充実をいっそう押し進める形で設置していくことが適当であろう」とし、後の総合学科高校の設置に言及しています。

(2)学力観の大転換…新しい学力観(1993年)

文部省は、1993年「新しい学力観に立つ」教育課程の創造と展開を明らかにし、下記の通り、従来の学力観を大きく転換することを明らかにしました。

1.「知識・理解」から「関心・意欲・態度」重視に

「各教科の評価の観点を、基本的には『関心・意欲・態度』、『思考・判断』、技 能・表現(又は技能)』及び『知識・理解』の4点により示し、新しい学力観の育成  をこれらの観点からとらえる」として、従来の「知識・理解」重視の教育から「関心・意欲・態度」を重視する教育へと大きく転換しました。

2.基礎基本とは「知識や技能」ではなく「豊かに生きる力としての資質や能力」

「これまでの教育においては、基礎・基本として、知識や技能を中心にとらえる傾向が見られた。これからの教育においては、…豊かに生きる力としての資質や能力を基礎・基本ととらえることが肝要である」としています。現在、文部科学省が使っている基礎・基本とは、基礎的な知識や技能のことではないのです。

3.教師の仕事は、「指導」ではなく「支援」すること

「個に応じた指導とは … 新しい学力観に立つ学力を身につけさせるための教師の支援を中心とした指導のあり方のことを指している。従って、教師が一方的に子どもたちに教え込む指導とは質的に異なるものであると考え、指導を工夫することが大切である」としています。教師には、「豊かに生きる力の資質や能力」が育つよう子どもたちを支援することがもとめられることになったのです。

4.授業では、事実や真実よりも意欲や態度を重視すべきである

「たとえ実現できなかったり、不十分であったりしても、自分で考え、自分の良さを発揮しながら、よりよいものに高めていこうとすることのすばらしさや、快さに子ども一人一人が気づくようにすることが期待される。」として、学ぶ中身が中途半端であったり多少間違っていても子どもの関心や意欲が高く態度が良ければそれでいいというわけです。

以上のように、新学力観は、知識を軽視し、知識から切り離された体験や行動を極端 に重視するものです。新学力観は、文部科学省、県教委の基本方針となったのです。

3.私たちだけでなく、様々な立場の人々が文部科学省の方針を批判

前述の通り、1990年代に入り、文部科学省は方針の大転換をはかりました。そして、第15、16期中教審答申(兵庫県の場合には「実施計画」)でこれらの方針が具体化されてきました。しかし、結果は、最初の統計資料で見たとおり、事態をいっそう深刻化させただけでした。当然のことながら、下記に見るとおり、様々な立場の方々から文部科学省の方針に対する批判が強まってきています。

(1)学力崩壊を食い止めるための、教育政策に関する緊急提言(地球産業文化研究所・地球産業文化委員会 2000年10月)

平岩外四東京電力株式会社相談役を理事長とする地球産業文化研究所は、緊急提言  の中で小・中・高等学校での、基礎学力の充実のため3つの提言を行っています。

1.2002年度に予定されている「新学習指導要領」実施の全面中止

「日本の授業時間数は、先進国で最低」であり、さらに学習内容を3割削減する新  学習指導要領の実施に反対し、「低学年でしっかり基礎教科を学習するからこそ、高  学年での理解度が深まるのであり、基礎教科の学習内容を減らせば理解度が下がるの  はある意味で当然である」と主張しています。

2.小・中学校における基礎学力の充実のための「柔軟な学級編成・学習法」を可能にする。

「少人数クラスが学力向上に有効であることは、アメリカ教育省の調査が実証して  いる」として、文部省に迅速な少人数クラスの実施を求めています。

3.高等学校での科目選択制(アラカルト方式)の拡大を中止し、基礎教科を必修に戻す

この項は、総合学科や単位制高校を考える上で重要なので全文紹介します。

「高等学校での科目選択制(アラカルト方式)の拡大は、大学進学以外に明確な目標達成を示せていない現状では、『受験に必要な科目だけを勉強すればよい』という免罪符を与えているだけである。このアラカルト方式を中止し、基礎教科を必修に戻すべきである。
『高校では、子どもたちに科目選択を早くさせ、自己責任を学ばせる必要がある』というのは誤りである。自己責任とは、情報が完全に開示された中で責任能力がある大人に対してのみ適用される言葉である。高校までは、高等教育を学ぶために必要な基礎学力をしっかりと身につけることを優先すべきであり、基礎教科が選択の結果捨てられることがあってはならない。実際、行き過ぎたアラカルト方式が学力崩壊を招いたアメリカは、基礎教科を重視する方向に大きく方向転換し、学力崩壊を食い止めた。」

(2)「教養が国をつくる」(エリック・ハーシュ バージニア大学教授 1989年)

「アメリカの公立学校の教育課程がいかに断片化しているかは、公私立の中学校を対象に行われた5年に及ぶ調査結果報告書『ショッピング・センター・ハイ・スクール』 に記されている。その報告者たちは、我が国のハイ・スクールには、講義の種類が多す ぎるので、『カリキュラム』(教育課程)という言葉ではこの驚くべき多様さにとても 追いつけない、と伝えている。選択できる科目には、実に多様な学科ばかりか、スポー ツ、趣味、それに感情面での問題や対人関係の問題などを扱う『サービス・カリキュラム』の科目までが含まれていて、これらの科目はすべて『教育として妥当』と見なされ、学科単位が取れる。
 よりどりみどり、何でもござれのキャフェテリア式の教育は、生徒に学業を要求するのを学校側が望んでいないことと相俟って、各世代間ばかりか若者自身の間で共有され る情報の量がじわじわと減少するという結果を招いた。同じ学校を出た若者でも、違った科目を習ったという場合が多く、違う学校の卒業生で同じ科目名のついた講義を取っていても、違った教材を学んだ場合が多い。ショッピング・センター式のハイ・スクールが不可避的にもたらすのは、学校間と同一学校内との双方における共有知識の欠如なのであり、文化の断片化という点でこれほど効果的な処方箋はないであろう。」

この著書は、その後のアメリカの教育政策に大きな影響を与え、ショッピング・センター方式から、学力の向上のための統一カリキュラム、少人数学級の実施などへとアメリカの方針転換に大きな影響を与えた。

4.日本版「ショッピング・センター・ハイスクール」
  =総合学科の実態

競争を組織することによって一定の知識を子どもたちに教え込む教育は、高度経済成長期には、様々な問題はあったとしても一定の役割を果たしてきたことは事実です。しかし、「勉強すれば、親の世代よりも豊かな生活ができる」とか、「よい高校、大学を卒業すればよい企業に就職できその後の人生が保障される」という時代は既に過去のものとなりました。卒業しても保障されない就職、たとえ就職できてもその後にやってくるリストラの不安、そして、年金や医療制度の改悪などを見せつけられ、自分の将来につながらず、しかも、学ぶ意味がわからず興味を持てない授業の連続は耐え難いものとなってきています。

その意味で、文部科学省が先に見たとおり、第14期中教審、そして、新学力観を提起し、従来の方針の転換をはかったことは十分に理解できます。また、中教審答申が行った過去の画一的な教育に対する批判についても共感できる点もあることは事実です。しかし、問題は、転換した方針が正しかったのかどうかです。私たちは、財界の方々とは立場や意見を全く異にしていますが、教育の特色化が学力の低下を招くという点では地球産業文化研究所の提言と基本的に同じ認識に立っています。
以下、教育の特色化の象徴である総合学科高校の実態を通してその問題点を見てみたいと思います。

【資料】総合学科とは(全日制高等学校長期構想検討委員会 「用語解説」より)

総合学科は、自分の生き方や進路に関する自覚を深めて個性を伸ばすため、1年次では「産業社会と人間」などの基礎的な教科・科目を学習し、2・3年次においては進路希望等に応じて普通科目と専門科目の中から選択して学習できる。


(1)安易な教科選択で系統的な学習が保障されない傾向が出ている

◆総合学科では、生徒たちは、入学した年の1学期に2・3年次を見通した科目選択を行います。しかし、入学直後の1年生が3年間を見通した教科選択をすることは不可能です。実際、大変偏った科目選択をしている生徒たちが多数出てきています。

【ある総合学科高校の生徒の時間割】

A君 ⇒体育関係の時間数    月0 火1 水4 木0 金2 土0
Bさん⇒英語関係の時間数   月1 火3 水3 木1 金3 土2
Cさん⇒同一教師による授業 月4 火2 水2 木3 金3 土0

A君は運動が好きで体育関係の授業をすべてとったために水曜日は1日4時間体育  関係科目となっています。Bさんの場合15/32が英語関係科目です。英語が好き  だからといって、自由に選んだ結果、全授業の半分が英語関係で占められてしまって  います。Cさんの場合も、ある先生が好きでその先生の授業を半分近くも選んでいま  す。これでは、系統的でバランスのとれた学習をしているとはいえません。

◆生徒の中には、安易に「テストがない科目」を選ぶ傾向があるため定期考査中に試験が1科目もない日が出たり、逆に受験中心の科目選択を行い1日4時間、5時間連続テストという生徒が出るというような問題も起こっています。

以上のように、1年入学直後に3年間を見通した科目選択をさせる、また、学習において、最も重視すべき系統性よりも生徒の選択の自由(=好み)を優先させているため 総合学科では、後期中等教育機関として高校が担っている「国民に必要な共通教養の保 障」という大切な役割が果たせなくなる恐れがあるといえます。この点では、地球産業文化研究所の提言やエリック・ハーシュ教授の指摘を裏付ける結果になっているといえ ます。また、文部科学省や県教委は、今後、すべての高校で選択教科を増やしていく= ショッピング・センター・ハイ・スクール化をめざしており、アメリカでの失敗を今から日本でくり返そうとしているのです。

(2)教育条件整備も全く不十分

日本の場合、高校のショッピング・センター化を人もお金もかけず行おうとしている ため、アメリカよりもいっそう深刻な事態を引き起こしかねません。

1.人を増やさないため教師の持ち科目数等が増え十分な授業準備ができない

  ◆A校の持ち科目数人数(高校では、教師一人2科目担当が普通)

   7科目: 7名(13%) 
   6科目:14名(26%)
   5科目: 7名(13%)
   4科目:14名(26%)
   3科目:11名(20%)
   2科目: 1名( 2%)

 ◆連続授業(A校の水曜日の時間割)

   6時間連続:2名 ( 4%) 
   5時間連続:7名 (13%)
   4時間連続:14名(26%)

普通の学校では、1〜2名しかいない4時間以上の連続授業が、A高校では約半数にものぼっています。しかも、持ち科目数が異常に多くこれでは、授業準備や生徒指導を丁寧に行うことはできず、生徒たちは質の高い教育を受けられません。

2.貧困な施設設備

  1. 教室の間仕切りなどが安易で金をかけない方法で行われているため隣の教室の声がうるさいなどの問題がでている。
  2. 特に専門教育に必要な教室、機材等が揃えられていない。
  3. 生徒の多様な選択を保障するための教室、図書館の充実など行われていない。

総合学科高校では、多くの教師が生徒たちの学力低下を指摘しています。残念ながら日本においては、学力実態を系統的に測定したものがありませんからあくまでも教師の 「感」の域を出ません。しかし、アメリカでは、継続的な調査によってショッピング・センター・ハイ・スクール方式の失敗が明らかにされています。以上見てきたとおり、総合学科がアメリカでの失敗をくり返すことは明らかだといえます。

5.求められる系統的で基礎的な学習を大切にする魅力ある授業づくり

1980年代後半以降、文部科学省や県教委は、競争と管理の教育は完全に行き詰まり、このままでは教育困難はいっそう深刻化するとの危機感を深めていました。前述の通り、第14期中教審答申、新学力観はその現れです。しかし、これらの方針転換は、従来の教育政策の誤りを分析し、出されたものではありません。批判のやり玉に挙げられたものは、現在進められている教育改革への支持を広げるために行われた側面が強いといえます。

では、文部科学省や県教委が進める教育改革の基本方針とは何でしょうか。それは、「市場原理」=新自由主義的な教育改革です。具体的には、「選択の自由と自己責任」に基づく改革です。文部科学省は、現在の教育困難を教育の条理に基づき解決する道ではなく、現在、政治・経済の分野で進められている「構造改革」=「市場原理に基づく改革」を教育の世界に持ち込んだのです。

(1)「市場原理」と教育はなじまない

「市場原理」とは弱肉強食の経済の論理です。経済の分野においてさえ国民がコント ロールしなければ利潤追求のために市民生活を破壊しかねないものです。

文部科学省や県教委は、「様々な規制をなくし、生徒や親に自由に選択させればあと は意欲を持って学習に取り組む。失敗が起こるのは規制が多く十分な選択の自由を保障 していないからである。もし、選択の自由が保障されているのもかかわらず、失敗が起 こったとすれば、それは、本人の自己責任であり、行政は、やり直しができるようにセ イフティーネットを準備すべきである。」というわけです。

「市場原理」を教育に持ち込む教育改革は、80年代にアメリカやヨーロッパで行わ れ、既にアメリカの例で見たように失敗が明らかになっています。アメリカやヨーロッ パでは、その反省から少人数学級と共通教養を重視する方向への変わっています。文部科学省や県教委が既に世界的にその失敗が明らかになっている愚行をくり返そうとして いることは全く理解できないことです。これでは、財界の一部も含め反対の意見が続出 するのは当然のことといえます。

(2)高教組の基本的な考え方

高教組は、2001年度自治体キャラバンにおいて、すべての県民のみなさんに、下記の6項目での共同を呼びかけました。

  1. 「実施計画」後期分の具体化に当たっては、教職員はもとより地域の方々に事前に情報を公開し、合意と納得を得ること。
  2. 生徒数の急減を理由に、機械的に高校の学級数を削減したり、統廃合をするのではなく、ゆきとどいた教育を実現するために県独自に計画的に30人以下学級を早期に実現すること。
  3. 地域の教育を守るため、厳しい財政状況にあるとはいえ、国・県は、教育予算を増額し、老朽校舎の新改築、危険校舎の改修、バリアフリー化の推進など教育条件整備の手だてを講じること。
  4. 行き過ぎた受験教育を是正するために、地域の子どもたちが希望する地元の高校に進学できるような学区制度にすること。また、地域住民の頭ごしに学区の変更や複数志願制を導入しないこと。そして、住民合意を得ていない神戸第三学区への複数志願制導入はいったん白紙に戻すこと。
  5. 現在の「詰め込み教育」を是正するとともに、ゆとりをもって基礎的な知識の学習を系統的にできるよう教育内容の見直しを行うこと。「教育の特色化」の推進やコース制などを安易に導入するのではなく、すべての子どもたちに国民として必要な共通の教育内容をしっかり保障すること。
  6. 生徒たちが、地域の生活・文化・産業の健全な発展をになう人間に成長できるよう地域に根ざした高校として必要な教育条件整備を行うこと。

学力問題では、5の項目が特に深くかかわっています。

私たちは、受験中心の教育が大きな困難に直面しており、生徒たちの要求とも大きくかけ離れてきていると考えています。しかし、私たちは、生徒が興味や関心に基づきやりたい科目を選べば問題が解決するなどとは考えていません。このようなやり方は、むしろ事態をいっそう深刻にするだけです。

私たちは、生徒の教科選択は、1、2年生での基礎的で系統的な学習をふまえ、生徒たちが自分で判断できる3年次を中心に行うことが望ましいと考えています。

教科内容は、受験中心の内容から、各教科が持つ本来の魅力を通して生徒たちが学ぶ喜びを実感できるものに変える必要があると考えます。

各学校は、教育課程の作成にあたっては、単なる教科表にするのではなく、生徒や地域の実態をふまえ生徒たちが地域社会の一員として学び成長していると実感できるよう工夫する必要があると考えます。

以上のように、生徒たちの学力保障の取り組みは、各教科だけの努力だけでは不可能であり、地域に根ざした学校づくりの中に位置づけ取り組みを進めることが大切です。



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