文部科学省は、1月17日、「たしかな学力の向上のための2002アピール『学びのすすめ』」を明らかにしました。そして、マスコミは、文部科学省が「学力低下」問題への対策として補習や宿題の「復権」を打ち出し、一定の方針転換を行ったかのように報道しました。なぜ、文部科学省がこの時期に「学びのすすめ」を打ち出したのかその背景と狙いについて歴史的経過もふまえ3回に分け見ていきたいと思います。
文部省、財界への屈服の軌跡
「学びのすすめ」が出された背景を理解するためには、文部省と財界との1980年代後半以降の軋轢とその結末についての歴史的経緯を理解しておくことが重要です。
1.1980年代後半…文部省、臨教審での巻き返しに成功
1980年代中期に設置された臨時教育審議会(第1次答申1985年〜第4次答申1987年)では、「教育の自由化」=教育への「市場原理」の導入が学者を中心に強く主張されました。しかし、学習指導要領や教科書検定制度の廃止にまで議論が拡大したことに危機感を抱いた文部省は、必死に巻き返しをはかり、「教育の自由化」の抑え込みに成功しただけでなく、逆に学習指導要領を通して「日の丸」「君が代」の押しつけ強化に成功しました。
2.1990年代初頭…文部省、方針を大転換
文部省は、「教育の自由化」とのたたかいに「勝利」した後、国民に見える具体的な成果をあげる必要性から従前からの「競争と管理」の教育を一段と強化します。ところが、その結果、不登校、いじめ、高校中退者は急増、少年事件は悪化の一途をたどります。いよいよ、政策の破綻が誰の目にも明らかになった1990年代のはじめには、文部省は自信を完全に喪失し、方針転換を余儀なくされます。
受験中心の戦後教育を批判した第14期中教審答申(1991年)、そして、知識より関心・意欲・態度の重視を打ち出した新学力観の提起(1993年)は、文部省が高度経済成長期以降推進してきたいわゆる受験中心の「競争と管理の教育」を自ら否定し、その転換をはかるものでした。しかし、その転換は、自らの政策の誤りやその結果引き起こされた深刻な教育困難を分析し、その反省をふまえ行われたものではありませんでした。基本的には、1980年代後半から急速に進展した世界経済のグローバル化と国内産業の輸出主導型経済から多国籍企業型経済への構造転換に対応するための国際競争力の強化と産業構造の再編に適応する人材育成という財界の要求を教育政策に無節操に取り入れたものでした。
3.1990年代中期…相次いだ財界の教育政策提言
バブル経済崩壊後、危機感を強めた財界は、1990年代中後期に「学校から『合校』へ」(経済同友会 1995年)、「魅力ある日本、創造への責任」(経団連 1996年)、「選択・責任・連帯の教育改革」(社会生産性本部 1999年)など矢継ぎ早に教育政策を打ち出しました。
文部省は、財界にいわれるままに「第15期中教審第1次答申」(1996年)、「教育改革プログラム」(1997年)、「中教審第2次答申」(1997年)、「今後の地方教育行政のあり方」(中教審 1998年)などを発表しました。これらの諸施策のキーワードは「心の教育」、「ゆとり」、「生きる力」でした。
しかし、文部省が打ち出した「心の教育」や「ゆとり」「生きる力」に対しては経済界の一部から痛烈な批判が行われました。例えば、社会生産性本部は、「選択・責任・連帯の教育改革」において下記のように批判しています。
- 児童・生徒の問題行動が多発し、いじめ、不登校、学級崩壊、学力低下などが顕著になっている現状を、中教審は「心の教育」によって乗り越えようとしている。しかし、このような問題の絞り方は、不適切であり、むしろ有害である。人間の「心」というあいまいなものに原因を求め、「心」がむしばまれたから問題行動が起こる、「心」を教育すれば問題行動が起きないはずだというのは根拠のない考え方である。
- 「ゆとり」は、教育の現状が受験競争・詰め込み教育であることを認めた上で、その行き過ぎを加減し、競争や詰め込みの度合いをゆるやかにしようという発想である。大学を頂点とした受験競争や知育偏重の詰め込み教育が、教育をむしばむガンであり、除去すべきもの、除去できるものだという認識に立っていない。
- ともすればくじけそうになる子どもに、「生きる力」をもてと呼びかける。「生きる力」をのばす教育をするという。耳ざわりよくひびく言葉だが、子どもをくじけさせる原因、教育をとりまく構造的な問題に手をつけないまま、子どもに責任を押しつける無責任な発想ではないだろうか。
社会生産性本部の「心の教育」「ゆとり」「生きる力」に対する批判は、極めて痛烈です。財界は、彼らの諸提言を真剣に受け止め実行に移さず、美辞麗句によって事態を切り抜けようとする文部省の口先だけの教育「改革」には我慢ならなかったのです。
4.1990年代後半から現在…本格的な「市場原理」の導入
1990年代中期、財界は、「心の教育」「ゆとり」「生きる力」など耳ざわりのよい口先だけの「改革」を唱えるだけで、教育への「市場原理」の導入に基づく教育の複線化に本格的に動き出さない文部省に業を煮やし、1999年の中央省庁再編に際し、「文部省解体」まで持ちし教育への「市場原理」の導入を迫りました。あわてた現在の文部科学省は、まず手始めに、国立大学の統廃合と事実上の民営化(独立行政法人化)、産業界への科学技術と人材供給を狙いとしたトップ30大学構想の本格実施に踏み切りました。そして、教育予算の大幅削減と「教育の複線化」を目的とした公立学校への「選択の自由」と「教育の特色化」など公教育への「市場原理」の導入に踏み切ることをいよいよ決断したのです。ここには、あれほど強調してきた「心の教育」や「生きる力」などかえりみることなく、あわてふためく、文部科学省のもう一つの姿を見ることができます。
つづく
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