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前回、文部省の財界への屈服の軌跡を見てきました。文部省の文部科学省への組織替え後、財界への屈服と従属はいっそう強まります。その後、文部科学省に対し、その存立の基盤そのものを切り崩すことにつながりかねない諸政策の実行を迫るようになります。文部科学省の動揺と混迷、そして、生き残りをかけた必死の努力が始まります。
文部省は、屈服後も面従腹背を決め込んだが
文部省は、「競争と管理の教育」による様々な矛盾は噴出していましたが、高度経済成長期からバブル崩壊までの間、学校教育を通して優れた人材を育成し、世界一の経済成長を実現したこと、また、世界でもまれにみる安定した社会を築き、長期保守政権を支えてきたことに自信と誇りを持っていました。
ところが、1990年代に入り、文部省は財界から過去の教育政策を否定され、教育への「市場原理」の導入=公教育の縮小・解体の政策の実行を迫られます。公教育の縮小・解体政策は、文部省の存在理由そのもを否定することにつながりかねません。1980年代中期、文部省が臨時教育審議会の「教育の自由化」に激しく抵抗し、必死にその巻き返しをはかった最大の理由もこの点にありました。よって、文部省は、財界に屈服して以降も公教育の縮小・解体につながる諸政策の実行については、面従腹背を決め込み、美辞麗句を駆使し口先でなんとかごまかそうと努力します。しかし、このことが財界の激しい怒りをまねいたことは社会経済生産性本部の例で見た通りです。また、政府も橋本「6大改革」以降、「行革」の名の下に、文部省の頭越しに「市場原理」に基づく諸「改革」を実行するようになります。ここに至り、文部省は、支えを失い、公教育の縮小・解体につながる諸政策の実行に踏み切らざるを得なくなります。
大学「改革」…自らの墓穴を掘る本格的政策
小泉内閣は、いわゆる「骨太方針」において「医療、介護、福祉、教育など従来主として公的ないしは非営利主体によって供給されてきた分野に競争原理を導入する。国際競争力ある大学づくりをめざし、民営化を含め、国立大学に民間的発想の経営手法を導入する」(2001年6月)との方針を打ち出しました。これを受ける形で、文部省から組織替えした文部科学省は、国立大学の大規模な統廃合、事実上の民営化を打ち出します。また、「トップ30大学構想」に見られるように、財界の利潤追求に直結する大学「改革」構想を打ち出します。
資本主義社会では、企業の利潤追求を野放しにすれば長時間過密労働、低賃金、貧困、公害の発生など深刻な社会の荒廃と退廃をもたらします。よって、国家は、企業に対し労働時間の制限、最低賃金の設定など守るべき最低限のルールを法律によって強制してきました。そうしなければ、社会の存立そのものが危機に瀕するからです。ところが、今回の大学「改革」は、大企業の目先の利益確保のために国立大学を統廃合し民営化を進める、大学教職員を非公務員化し直接企業に奉仕できるようにするなどむき出しの「市場原理」の導入をはかるものです。大学の自治、学問の自由を守るべき文部科学省が企業の金儲けのための諸政策を推進する先頭に立ったのです。こうのような政策に対して、大学の先生方から「日本の大学教育を30年遅らせる」との声があがるのは当然であり、日本の未来に大きな禍根を残すものです。これに引き続き、文部科学省は、小中学校への私学の積極的導入、チャータースクールの設置、義務教育費国庫負担制度の廃止などを進めようとしています。このような政策が進めば「文部科学省でできることは、すべて民間でできる」ことになります。文部科学省は、自らの墓穴を掘っているといわれてもしかたありません。
文部科学省に「復権」のチャンス
小泉内閣が進めている「構造改革」、すなわち、「市場原理」に基づく「改革」は、社会保障費や教育予算の大幅削減、産業の空洞化、企業倒産・リストラ、消費税率の引き上げなどをともない、今後、大きな社会不安を引き起こすことは明らかです。よって、いかにして国民の統合を図るかが重要な課題となります。また、米国の軍事的な要請と大企業の海外進出にともない自衛隊の海外派兵への要求もかつてなく強まっています。今後、自衛隊の参戦を積極的に支持する国民世論の形成も切実な課題となります。この課題=新たなナショナリズムの形成は、当然のことながら教育が主に担うことになります。
さらに、教育への「市場原理」の導入による民営化と「地方分権」の進行は、国による教育への統制を弱めかねません。このため、いかにして国が全国共通の最低限の基礎な知識を国民に獲得させるか、また、そのために教職員への新たな管理体制をどう構築するかなどが切実な課題として登場してきています。これらは、文部科学省が担うことになります。こうして、彼らに「復権」のチャンスがおとずれることになったのです。
新たなナショナリズムの形成と「学力問題」での反動的な勢力の野合
財界や政府は、未だ新たなナショナリズムの形成の展望と手段を持つに至っていません。この弱点を右翼的なグループが突き、「市場原理」の導入やいわゆる「自由主義的な改革」を激しく批判し、復古主義的な政策への方針転換を迫っています。教科書問題や靖国参拝をめぐっての政府や財界の動揺はその現れです。「構造改革」によって、従来の支配構造が動揺する中、反動的な勢力が力を持ち始めていることを決して軽視することはできません。しかし、同時に、彼らが支配層の中では未だ異端であり主流派でないこともまた正確に見ておく必要があります。
「日本のフロンティアは日本の中にある」、「教育国民会議」報告などの主要な内容は「市場原理」の導入をめざすものです。しかし、新たなナショナリズムの形成については、復古的な色彩の強い方針が打ち出され、その過程で雑多な反動勢力の野合が進んでいます。また、いわゆる「学力問題」でも教育への「市場原理」の導入が学力低下をもたらすとして同様の事態が進行し、反動的な勢力を活気づけています。今や、新たなナショナリズムの形成と学力問題は、反動的な勢力が広範な保守勢力や一般国民をも巻き込んで活動を展開できる「拠点」となっています。文部科学省が「復権」をめざし「学びのすすめ」を出した背景には、以上のような複雑な背景がある点を見ておく必要があります。 つづく
高教組通信No.26 2002年2月22日付
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