1937年7月18日、ミュンヘンで、2つの美術展が開催された。ヒトラー政府が“最高の傑作”と認定した作品を集めた《大ドイツ美術展》、そして政府によって“非ドイツ的”“民族の役に立たない”と烙印を押された作品を集めた《退廃美術展》である。《退廃美術展》の会場には、ドイツ32の公立美術館から3週間で集められた120作家の650余点の作品が展示された。ヒトラーの側近で帝国宣伝相のゲッベルスから依頼を受けたプロイセン美術院長のツィーグラーが選んだ「退廃的」な彫刻、版画、写真、絵画、書籍の作品群は、実際には20世紀を代表する現代美術の傑作であった。シャガール、クレー、カンディンスキー、バルラハ、グロッスらの作品と並んで、ゴッホの「ドービニーの庭」(ひろしま美術館蔵)も展示されていた。これらの展示作品は「狂気、厚顔無恥、無能の産物」とののしられた。《退廃美術展》には、多数の入場者が訪れ、「ゲルマン民族の優秀性を誇示する」目的で開催された《大ドイツ美術展》のそれを上回った。
《退廃美術展》の展示品の下には各美術館が購入した時の価格が記してあり、「働くドイツ民衆の税金から支払われた」との説明書が添えられていた。超インフレの時代に購入した作品の価格もことさら換算されずに記してあり、入場者の反感をあおった。13都市を巡回した後、これらの作品はどうなったのか?焼却された作品もある。そして海外に売却されて間接的にドイツの軍事費の助けとなった作品もある。
「退廃的」とされた表現派、キュビスムの作家たちは、美術学校や団体から追われ、公職から追放された。政治信条は関係なく、ナチ党員もいた。「才能に欠け画家には向かないと判定された人物(ヒトラー)が、権力の頂点を極め、文化行政を意のままにできる機会に恵まれ」ておこなったのが、以上のことであった。権力者が、美の判定を行おうとした希有の事件である。
☆参考、引用は、『芸術の危機 ヒトラーと退廃美術』1995年カタログ
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