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クーデターが、すべてをなぎ倒して進む!(神戸県立支部)

2003年05月20日


クーデターが、すべてをなぎ倒して進む!
消費税が、何故20%に膨れ上がると今から予告しているのか?
医療費負担が、何故3割にアップしたのか?
介護制度が、何故民間に丸投げされてしまったのか?
失業者が、何故増え続けているのにその対策をとらないのか?
国立大学法人化が、何故反対意見を無視して文科省委員会で決議されたのか?
教育基本法改悪が、何故その本質を明らかにさせないまま進行しているのか?
労働法制の改悪が、何故労働者保護のための法律の中で行われるのか?
有事法制が、何故具体的説明もなく決定されてしまうのか?
小泉政権が、何故自分の失政を反省せずにふんぞり返っているのか?


  教育基本法「改正」の大きな柱のひとつは、「大競争時代」です。
  「21世紀は国際的な大競争時代なんだ」
  と言われれば
  「そうかもしれない」
  と感じる人が多いかもしれませんが、ちょっと待って下さい。
  誰が、何故、どのような競争をしているのですか。 

 教育基本法「改正」を巡る「中教審答申」という官僚の作文を読んでいくと、「大競争」とは、日本の産業が、欧米列強の押し進めるグローバリゼーションという枠組みのなかで、「大国」として勝ち残るための「大競争」だということがはっきりしてきます。

 それは具体的には、米国と、日本が産んだ多国籍企業の利潤を守るための、国内で逆比例的に進む貧困を押さえ込んで堪え忍ばせながらの「大競争」なのです。
 それを遂行するために、日本の「優秀な大企業」たちは、税金を大幅に緩和されています。というよりも、海外に進出している多国籍企業としての(元)日本大企業は、もう国家単位で括られるものではなくなっており、私的利益を国家群に混じって追求する形態になってしまっています。で、日本政府は、その減収分を補填するために、政府にとって「国民に対する第一の義務」であるはずの「教育・医療・福祉」への支出を大幅にカットしてきました。

 例えば政府の国民への責務不履行を、「自己責任」という名で国民に押しつけてきています(医療・福祉・教育、そして中小の企業・商店)。例えば、病気になるのは「あなた個人の責任だ」から、自分のお金で処理しなさい。隣に大型店舗が出来て商売が傾き始めたのは、「あなたの経営努力が足りないから」だから、顔を洗って出直しなさい。足腰が弱くなって、要介護の認定を受けたのだけれど、お金が無くて必要な介護が受けられないのは、「何から何まで頼らずに」支払える範囲で我慢しなさい。……etc.

 また、大企業は、政府が後押しする大リストラを押し進め、失業率を高め、同時に国内不安を高めています。しかも、利潤拡大のため、税金緩和だけでは飽き足らずに、日本政府にさらなる「構造改革」を迫っています。今、日本に吹き荒れている一連の嵐は、戦後民主主義が営々として築いてきたすべての美しい果実をなぎ倒しながら進む、クーデターの嵐なのです。

 中教審答申には、これらの不況や社会不安が、まるで自然災害であるかのように書かれています。21世紀はそういう時代だから、教育によって、「文句を言わず、愛国心を持ち、心を鍛えた、頑張り抜くことのできる人材を育てよう、今の若者の不安定さは、公共心が不足しているからだ」と。
 自らの失政については一切何も触れず、すべてを国民一人一人の抽象的な「精神的な問題」として片付ける……これが欺瞞でなくて一体何だと言うのでしょうか。

 企業は、新卒者一括雇用、終身雇用、企業内福利厚生、という従来の日本的雇用形態をどんどん捨て始めています。高卒に限らず、短大大学においても、新卒者が「希望に燃えて」就職することは、ほぼ不可能になってきました。それと同時に、「学歴社会」を支えていた「価値」も「未来」も、ここに至って急速に崩壊し始めています。


 大企業の経営者たちの集まり(エリート集団)である「経済同友会」や「経団連」などは、この末期的「大競争時代=グローバリゼーション」に翻弄されながらも、自らの私的利潤と生き残りをかけて、政府に様々なことを要求し、現政権は、アメリカの指示に対してと同様、それらを次々に実施し続けています。走り始めてしまった自分をどうにも止められなくなってしまったかのように、教育に対しても、不等な支配を強めています。

 ・国立大学に言うことを聞かせろ(法人化)。
 ・学問の自由だとかより、もっと効率の良いシステムを作れ。
 ・大学院を独立専門化し、日本のトップ企業を支える(世界水準を超える)知的技術的エリートを養成すること。
 ・エリートには、飛び級でも何でもいいから、どんどん鍛えて、どんどん機会を与えよ。
 ・高等学校では、エリート校はほんの少しでよい。そこには予算をケチらないこと。
 ・一般の高等学校は、黙々と働き、自分の責任で生きてゆける力を教えればよい。学校それぞれに特色を持たせて、「日本国家」への愛国心と公共心を教育させろ。しかし金はかけるな。
 ・義務教育段階で、一般の子どもには「道徳」を教えろ(こころのノート)。「日本の伝統と愛国心」を教え込め。授業数は削れ。金はかけるな。……etc.


5月18日:小森陽一氏の講演から

 東京都品川区を始めとするいくつかの区で、小学校から学区を無くしてしまった。「選択の自由が広がった」と言う人も居る。で、あれこれの情報が飛び交い、結局の所、何が生じたか。小学校段階からの学校間格差のピラミッドが出現した。
 また、東京の高校では、校長が学校独自のマネージプロジェクトを作成し、それに応じて、各教師は、自分には何が出来るかという忠誠度を校長に提出するという、ノルマと評価による分断と管理が徹底しつつある。

 国立大学は、法人化によって、徹底的に文科省の管理下に置かれ、文科省の定める6年計画の目的に忠実な大学から予算配分してゆく。その大学を運営するのは、理事と呼ばれる各省庁や金融機関の天下り軍団である。
 このように、下は義務教育から上は大学まで、秩序正しいトップダウン(上意下達)式の、ファシズムの構図ができあがる。どこに「選択の自由」があるか。
 例えば、遠くの学校に通う小学校一年生が多数居る。越境入学する多くの親たちは、車で送り迎えしている。それが出来ない親たちは、そもそも「越境入学」なんて考えもしない。ピラミッドの固定化が、階層の固定化につながってゆく。
 東大への進学で有名なある中高一貫の学校では、教師達が嘆いている。「最近の子どもは、学力を破壊され尽くして中学校に入学してくる」と。何も、計算が出来ないとか、歴史的事件の年代が答えられないとか、高度な数学の問題が解けないとか、そんなことを言っているのではない。そんな問題なら、彼らは完璧に答えてくれる。でも、その学校がずっとやり続けてきた「一つの問題を徹底的に掘り深めて考え抜く教育方法」が、彼ら相手にはできない、と嘆いているのだ。彼らが、エリートとして日本のトップを牛耳ることになる、そのための「学力」、「想像力」がない、と。

編集後記
★1%のエリートと、残り99%の庶民と。「機会不平等」の著者である斎藤貴男氏は、エリートの持つ選民意識を嗅ぎ取っていた。★中教審答申を読みながら、私もまたその匂いを嫌になるほど嗅いだ。★「エリートはほんの一握りでいい」と三浦朱門は言った。★その予言が、こんなにもあからさまな形で出てきた。決して、許されてはならない。(meiro)

支部ニュースNo.6より


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