お父さんは、お亡くなりになる前、私ども双子たちの大学登録料を用意なさるため、イラクに行かれるとおっしゃいました。私たち家族は、
「戦争地域だから危険だ」
と止めました。お父さんは、
「マスコミも安全であるという話だし、オム電気でも大丈夫だよ。」
「安全でなければ私がどうして行くのだ。」
とおっしゃったので、私どもはお父さんの安全を信じました。
いらっしゃってから3日後の11月30日、お父さんの事故(ティクリート)のことを初めて知らせてくれたのは、TVニュースでした。お父さんの会社や政府でもなかったし、うちの家族にその誰も確認してくださらなかったのです。それで、切ない心でノ・ムヒョン大統領ハラボジ(おじいさん)に文を書きました。そうしてやっと一日ぶりに、オム電気と外交通商部から訪ねてきたのです。そして、遺憾を表明し、最善をつくして家族を助けると約束してくれました。
私が世の中で一番愛するお父さんが、イラクの砂漠でお亡くなりになってから13日が経ちました。お父さんは、今、大田(テジョン)のある葬儀場の冷凍庫で、イラク人たちが撃った銃弾の苦痛の中に冷たく横たわっていらっしゃいます。葬式を執り行わない私が、喪服を着てソウルまでやって来て、この場に立つことになったのは、高等学校3年生である私が受け入れるには、あまりにも苦しく大変だからです。
イラクからお帰りになったオム電気の労働者のおじさんたちが、数日前に殯所にいらっしゃいました。お父さんの遺影の前で、その方たちはおっしゃいました。
「イラクは、行く前に聞いていたとおり、安全な場所が全然なかったよ。」
おじさんたちが働く砂漠の作業場のすぐそばでは、連日ミサイル爆撃と銃撃戦が止まなかったそうです。
比較的安全な方だというバグダッド市内も、自由に武器を持って歩き回るイラク人たちを頻繁に見ることができたという話でした。
私たちのお父さんを含むオム電気の労働者のおじさんたちは、そのように危険な戦地で、会社が最初に約束した身辺保護と米軍の警護を一度もまともに受けることがないままに、働かなければならなかったのです。私たちのお父さんの被弾は、こうした常識では納得しがたい状況の中で、もしかしたら予定された死ではなかったのでしょうか?
そのおじさんたちが言いました。
「初めてイラクに到着して会ったイラク人たちは、韓国人たちにかなり友好的な方だった」と…。私が尋ねました。
「それなのにどうして、その人々がうちのお父さんを殺したのですか?」
おじさんたちが答えました。
「私たちがやる送電工事がアメリカ企業の受注を受けてする工事なのを知ってから、イラク人たちの態度が変わったようだ。そして、韓国政府がアメリカの要請を受けてイラク派兵の方針を決めてから、韓国人に対するイラク人たちの情緒が、ますます悪化しているようだ。」
私は、大韓民国の平凡な高等学校3年生です。戦争だとか、イラク派兵だとかいうことは、自分とは無関係だと思っていました。しかし、今、少しずつ分かりつつあります。全世界が反対するアメリカの戦争で、イラクでたくさんの人々が死んでいったということを…。そして、大韓民国のイラク派兵決定によって、韓国人さえイラク人たちの怒りの標的となりつつあるということを…。その最初の犠牲者が、私が世の中で一番愛するお父さんなのだということを…。
ノ・ムヒョン大統領ハラボジは、イラクに銃を持った国軍のおじさんたちを送ることが、うちの家族たちを助けてくれることだと思っているようです。
私たちのお父さんの死では不足なのですか? 大統領ハラボジにとって、国軍のおじさんたちの命なんかは大事ではないのですか?
その国軍のおじさんたちの家族に、私たちの家族が経験している痛みと悲しみを抱かせようとなさるのですか?
ノ・ムヒョンハラボジ、私たちのお父さんの死と家族たちを慰めるために最後まで最善をつくすという、約束を守ってください。そして、私たちの国軍のおじさんたちを、イラクへ追いやらないでください。私たちのお父さんの死を無駄にしないでください。是非お願い致します。
お母さんは、もう涙が枯れて、我を失っていらっしゃいます。私たち双子姉妹には、本当に耐え難いです。言葉もなく冷凍庫で凍っていらっしゃるお父さんを思えば思うほど、あまりに胸が痛みます。国民の皆さん、お父さんの死を記憶してください。お父さんの死が無駄にならないために……。 ( noforceML5357より )
(原文:韓国語)
http://www.ohmynews.com/articleview/article_view.asp?menu=c10100&no=143481&rel_no=1&index=3
(日⇔韓翻訳サイト)
http://enjoykorea.naver.co.jp/