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未来の没落〜不穏な空気(神戸県立支部)

2004年03月09 日


未来の没落〜不穏な空気

県高支部書記次長 永易茂雄(東灘分会)

 私たちが生きているこの(時代の、世界の、日本の、社会の)現実は、既に両足 でしっかりと着地できる基盤を失っていて、砂上楼閣(フィクション、幻想)とな ってしまっているようです。例えば「学校というのは一体どんなところなのか」と 考え、そしてその答を探し出そうとすると、「何故こんな危ういシステムが生きて いるのだろう?」ということになってしまいます。破綻して久しいシステムが、私 たちを飲み込んで蠢いています。
 そういうとき、地に足が着かずに浮遊しているのは、私一人ではなく、ほんとに たくさんの人たちが、そうなっているのではないか……。

 以前、高等学校では、生徒の中にも、「未来の自分(希望)」を実現させるさせ るために「現在の自分」が頑張っている、という「忍耐」の枠組みのなかで、どれ だけ「現在」の喜びや躍動や充実を獲得できるか、という姿勢があったように思い ます。子どもたちに対して、その姿勢を地域社会も共有していた。それが、今、( 未来は約束されていないから)「現在の自分」を一番大切にしよう、という基本姿 勢に変わってきつつあり、何をしていいか分からない子どもたちが急激に増えてい るのではないかと思います。

 それは、産業社会から消費社会へと移り変わってゆく80年代から90年代にか けて、「地域社会の変質(喪失)」や「輝かしい未来の喪失」という実感と互いに 絡み合いながら進んできたように思います。けれど、私たち人間は、あくまで、「 未来へと生きていく」生き物です。『何処から来て何処へ行くのか?』という、昔 からいつも新たに問い直されてきた問いかけがありますが、その『何処へ?』とい うのは常に「具体的で輝かしい未来」に関わる事柄だった筈です。

 その、「具体的な未来」から「輝かしさ」がどんどん失われ、代わって不安が重 く覆い被さってきているようです。未来が輝かしさを失うと、現在は失速します。 またはエネルギーが行き場を失ってあちこちで暴走し始めます。
 私たちの実生活でも、生徒の学習意欲でも、現在を支えている土台(未来)が崩 れると、無意味な感じがしたり無価値に感じたりするようになります。何故なら、 現在の労働を支えているのは、まさしくこの現在が繋がっていく筈の未来の輝きだ からです。未来を失う、というのは、(実際には、否応なく未来はやってきますか ら)未来が無くなるのではなく、破綻(終末)がやってくる、という不安な終末感 、または焦燥感に連なっています。

 さらに、今まで私たちが空気のように呼吸していた平和が、なんだか音を立てて 崩れ落ちているようです。それは、私たちが今まで、与えられた平和を活かそうと も守ろうともせず、また私たち自身の状況を何も見ていなかった、ということによ るのかもしれません。でも、周囲を何も見ていなくても平和であり得た時代が確実 に終わろうとしているのは確かです。いつの間にか、私たちは私たちの社会を失い 、未来を失い、平和を失い始めています。

 どういうことなのか。

 1997年の神戸の小学生連続殺傷事件について、加害者の少年(酒鬼薔薇聖斗 )が、逮捕された当時、こんなことを言っています。
「この世は弱肉強食の世界であり、自分が強者なら弱者を殺し、支配することがで きる。僕は『争う意志』を持っています。他人はこのことをあまり気づいてはおら ず、気が付いている点で僕は勝っていると思います。」
「僕以外の人間は野菜と同じ。だから切っても潰しても構わない。」
 なんて身勝手な、と思われるかもしれませんが、この『僕』を『アメリカ合衆国 』と言い換えれば、この文章はそのまま、ブッシュ大統領やラムズフェルド国防長 官の日常的な言葉にすり替わります。その自己中心的な「自国のことのみに専念し て他国を無視」する国家(アメリカ)に脅迫観念的に追従しているのが、日本の小 泉現政権なのです。小泉首相は「国際社会において名誉ある地位」を占めようと思 っていると自分では信じているようですが、他国からは「ブッシュの軍曹」とか「 小判鮫」とか言われている始末です。また、彼は国連の常任理事国入りを希望して いるのですが、「今の日本が常任理事国入りすればアメリカに2票与えるのと同じ だから、他の国が絶対に認めるわけがない」という当たり前の客観的事実が、本当 に見えていない視野狭窄状態にさえなっています。

 2000年10月、アーミテージ報告(*)のあと急速に、日本は『アメリカの卓越した指 導力』のもとに、国民主権も愛国心もかなぐり捨てて、『米日同盟』に日本の運命 を預けてしまっているとしか言いようがありません。その「報告」によって日本が 取るべき進路として指導された通りに、日本は、「集団的自衛権を持つ」=「憲法 9条を無効にする」ことを優先課題として取り組んできました。まるで日米間で密 約でも交わされたかのように。
   (*)参考:兵高教組HP情報ボックス http://www.hyogo- kokyoso.com/infobox/messages/155.shtml
 その後、9.11の同時テロが起こり、アメリカの動きを追いかける忠犬のよう に、しかもどんどんと「決して引き返せない坂道」を転げ落ちるように、アフガニ スタンの「テロ特措法」で米軍への給油協力として自衛隊派遣(全給油の50%実績) 、さらに「有事関連3法案」「イラク特措法」を次々に成立させ、とうとう本当に 「日本陸海空軍」を異国の地に派兵させ、憲法を事実上棚上げしてしまったのです 。何の議論も(またはその議論の前提条件となる何の説明も)行われないまま、自 衛隊のイラク派兵が、まるで何の抵抗も無かったかのように実行されてしまってい るのです。

 つまり、こういうことです。

 憲法を改定するには、非常に高いハードルを越えなければならない。つまり憲法 は、それ自身、改訂されることを事実上禁止しているに等しい。そして、当たり前 のことながら、憲法は、違憲状態が日本国内に持続することを想定していない。
 でも、現在、二重に想定外のことが起こっています。
 まず第一に、憲法は、事実上、政府の行為に対して有効な歯止めとなっていない 。
 第二に、現在、政府の行為によって次々に幾重もの違憲状態へと塗り固められて いる。

 これは、憲法が想定する国家の姿から言えば、政府(内閣=行政)によるクーデ ターが敢行されているということです。私たち国民は「平和な国家である日本」で 日常的に暮らしてきたのだけれども、あれよあれよという間にその「平和」の保証 が失われてしまった、ということです。誰がこんなことをしたのか、と言うと、私 たちが選んだ代表者たちと、私たちが選んだのではないエリート官僚たちの、独我 論的不言実行型の机上の政策の曖昧さの中で実行されてしまったのです。日本には 、国民に説明し、批判を仰ぐという歴史はありません。政府は、まるで独裁政権の ように、自分たちでああだこうだと既定事実を作り上げてゆくのです。そして国民 は、いつも蚊帳の外にいて、お上の言うことだから、と文句を言いながら、仕方が ない、と諦める……徳川政権時代と同じです。

 東京立川市で、イラク反戦運動をしていた人たちが3人逮捕され、6件の家宅捜 索を受けました。令状に記載された容疑は、その一ヶ月ほど前に立川市の自衛官の 官舎のポストにビラを投函したことが住居侵入だ、ということです。これは、防衛 庁からの指図に警察が従った、ということなのです。なぜ、寿司屋さんや商店街や 街の広報などのビラなら不法侵入にならなくて、平和運動のビラの投函だけ不法侵 入になるのか、というその真意を考えると、背筋が寒くなります。

 これらのことを、看過することはできません。かつてオウム事件のとき、信者が 他人の駐車場に一歩足を踏み入れただけで尾行していた警察官が現行犯で逮捕する 、ということがありましたが、その時には前もって国会で議論があり、国民も関心 を持って成り行きを見守っていた、ということがありました。けれど、その時のこ とが、今回すでに当たり前の前提になっていて、なんの議論もなしに、国の方針に 反対の市民運動を卑劣な手段で切り崩している。br  立川市が特殊だというのではなく、これは『始まり』なのです。今の私たちが失 敗すれば、子どもたちの世代へと長く続いてゆくだろう『抑圧(弾圧)の始まり』 なのです。

人々は、
  働けど 働けどなお 我が暮らし 楽にならざり じっと手を見る
という実感の中にいます。自分の行為の中に凝り固まろうとする政権は、高校生の 署名をすら敵視し、教育現場に国策に従って教えよ、と恥ずかし気もなく注文を付 けました。教育基本法もあって無きが如くです。
 「国民は大声で No!を言わないし、大多数は国の方針に従うだろう。既定事実を 積み重ねて、とにかく動き始めていて、違憲状態でもまかり通っている。さらに国 民の中から「黄色いハンカチ運動」が広がって、自衛隊を応援してくれている。国 民保護法制も近日中に通過する見込みで、反戦運動の弾圧もしやすくなる。福祉を ちらつかせて消費税を上げて、云々……」と、何でもありのクーデターが、進行中 です。
 つまり今、戦前の、だんだんと戦争に近づいていこうとしている時代の世相を、 忠実に再現し始めているのです。材料は揃っています。

 けれどここに、もう一つ大きな問題があります。

 私たちはそれに抵抗し得ているのか、という問題です。有事法制制定前、そして 今回のイラク派兵実行前、反対の世論は大きかったけれど、既定事実が政府によっ て作られてしまうと、世論はガタガタと崩れて、「仕方ないじゃないか」という空 気に支配されてしまっています。日本には、政策にNOを訴える市民運動が定着し ていません。日本は民主主義宇国家ではない、と批判されるゆえんです。
 何故、政府の無責任な決定に対してまったくの受け身になってしまうのか、口の 中でブツブツ愚痴を言いながら、または新聞を読んでしかめっ面になりながら、そ れでいて何故、仕方ないとあきらめてしまうのか、……あきらめたら、それで終わ りになってしまうのです。誰も代わりに反対を言ってはくれないし、誰も代わりに 反対行動をしてはくれません。
今や、すべての受動的な生き方が飲み込まれようとしています。

 今しかない。本当に今しかないんだと思います。「もう手遅れになってるよ」と いう声も聞こえてきそうですが、今、何もしなければ、いつまでたっても何もでき ない。

 とりあえず3月20日、イラク開戦1周年の日の反戦運動には参加したいと思い ます。世界規模での反戦の取り組みがあります。焦眉の急である日本で、一体どれ ほどの参加になるか、不安です。メインの東京会場では、主催者側の意見の違いに よって集会が分散してしまったそうです。何故そのようなことに、と考えると悔し くてなりませんが、それでも何もしないでいることはできません。


編集後記
★2003年度の支部ニュースは今回で最後になります。★紙面構成では我が儘を通してしまいました。★来年度も引き続き、よろしくお願いします。★1年間、ありが とうございました。(meiro)
支部ニュースNo.38より


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