教育基本法「改正」法案の内容〜4
5.背景にある状況
………政治・財界エリートたちの暴走
冷戦後の米国の世界戦略の中で、日本は「日米同盟」のあり方を何度か改定してきました。それは、日本が、米国の軍事的な「保護下」にある状態から、日本・米国のパートナーシップへと移行する方向でおこなわれていると言われています。でもそれは、米国の指導に応えるために日本政府が最大限の努力をする、という形で進んでいるかのようです。
そのとき、とりわけ障害となるのは憲法9条の存在であるのは誰の目にも明らかです。9条がある限り、日本は、決して自衛隊を日本の外に出すことなどできない(はずだった)からです。日本の歴代政府もまた、国民にそう約束してきました。でも、米国は、日本政府に9条改訂(改憲)への圧力をかけ続けてきました。米国の軍事行動(戦争)に日本が「貢献」できるように、とのことです。その結果、どうなっているかは、ご存じの通りです。
また、米国だけではなく、日本の財界エリートたちも、大企業が多国籍化し、アジアの諸地域で企業活動を展開していく上で、その国の政府に開発型の政策を迫る一方で、その海外拠点を守るために自衛隊の駐留や派遣を求めるようになってきているのです。
そういう流れのなかで、日本国内では、小泉政権のもとで、「自衛隊は日本軍」(山崎拓・自民党幹事長)と公言したり、「教育改革の目的は、お国のために命を投げ出すことをいとわない日本人を生み出すこと」(民主党西村眞悟)という暴言さえ許されてしまう強引な右傾化が浸透する過程で、一連の有事に関する法律(テロ特措法、イラク特措法、有事関連法)が次々に上程・可決され続けています。
そうして9条が棚上げ状態になっていく状況の中で、今や自衛隊は、小泉政権と財界の思惑通り、米国の戦争であるイラクに派兵されて常駐し、また最近では、アジア・太平洋地域で、日米合同軍事演習が空前の規模で繰り返されています。民間企業も徴発され、現実問題として違憲状態の既成事実化が、タガが外れたとでもいうように、雪崩現象のように進んでいるのです。
また、社会現象として、バブル崩壊後顕著になってきたのは、企業の雇用形態が、従来の「終身雇用・家族ぐるみ雇用」から、個人契約的雇用へと変化したことです。賃金が抑制され、特に大企業において大規模リストラが横行し、若年労働者の非正規雇用や、派遣労働者化が進んできています。未来を構築するという視点を失ったまま、大企業が「今を勝ち抜く」ための、なりふり構わぬ改革が狂奔しているのです。
たとえば世界有数の大企業として膨大な利益を上げながら、リストラや賃金カットを行い、しかもそれが自由競争社会の責任ある企業として当然のやり方だと評価を受け、株価が上がるようにさえなってきています。つまり、企業の利益は労働者の不利益につながるようにさえなってきているのです。そのなかの一体どこに、生活する私たちの未来があるでしょうか。今、日本の富は、上位20%が、残り80%と等しくなるほどまで、較差が広がっています。この較差が、さらに拡大されようとしています。
このように、大企業が多国籍化し、日本を離れて海外に拠点を持つということは、日本国内に様々な問題を引き起こしています。たとえば、その活動(国際競争)の力を維持するために法人税は大幅に規制緩和され、結果的に消費税はその穴埋めのために全額消えたのです。その一方で、大部分の国民は「痛み」を押し付けられ、消費は冷え込み、さらに、財界や既得権の絡むような権力関係が希薄な、福祉・医療・教育等の国民生活関連のための予算からまっ先に削られていきました。つまり、アメリカのグローバリゼーションに象徴される新自由主義(市場原理……資本による自由競争……にすべてを任せる)を信奉して日本を見捨てて離陸していった財界エリートたちは、一緒に日本の富と機会とを、海外へと持ち出していった、と言えるのかもしれません。
労働者の置かれた環境は、年を追うごとに劣化してきています。賃金はさらに抑制され続けています。大企業は海外で利益を吸い取って肥え太り、日本本土はドーナツ化現象でスラム化していくかのようです。
私たちは、世界規模で闘う多国籍企業の「銃後」社会としてスラム化しつつある日本で、残ったパイをどう配分するのかについて議論しなければならなくなっています。
政治・財界エリートたちは、やがて自分たちの仲間になる者たちへと大きくパイを切り分け、ごくわずか残ったパイの切れはしについて、庶民を競わせようとしています。その端的で原理的な表れが、教育基本法の「改正」問題なのです。庶民は国家に服従し、「実直な精神」で「忍耐」をするべきだという発想が、隅々まで染み渡っています。この同じ発想が、現在の様々な現象のなかにも、じわじわと浸透しつつあります。
それはたとえば、昨今言われ始めているような大企業による春闘拒否、労働者が服従する体制作り、露骨な差別賃金と成績至上主義による労働環境破壊などです。いつのまにか「働くことの喜び」という言葉が、「職業にありつけた喜び」を意味するようになってしまい、労働は苦役となり、生活のための低賃金の労働と、先の見えない不安を耐えるのが当たり前のように言われ始めています。そしてそれは、社会不安へとつながり、さらに相互監視社会へと進みつつあります。今、全国の自治体で「生活安全条例」のような名前のもとに、相互監視社会=警察社会の制度化が進んでいるのをご存じでしょうか。
また、「勝ち組と負け組」という過度に心理的な論理の枠組みが当たり前になってしまい、適者生存の論理による「自己責任」ということであらゆることが切り捨てられながら、誰もそれに異議を差し挟めなくなってしまうような、生活環境破壊が生じてきています。そして、そういうなかで強制される「愛国心」のもとで、滅私奉公への道が開かれるのです。そのような流れををはっきり定着しようとするのが、教育基本法の「改正」なのです。
そのあと、憲法9条は、「単なる理想でしかなかったもの」として、疲れ果てた私たちの手によって、処刑されるのです。でも、決して、そんなことが許されてはならない。
編集後記
★教育基本法改悪は、憲法9条改悪とセットになっている。私たちは、それを何としても阻止しなければならない。★日本の子どもたちだけでなく、世界の子どもたちを「私たちの無責任と悪意と諦め」から救うためにも、行動が必要なのだ。★何も行動が起こされなければ、政府は「粛々」と上程・可決するだろう。★坐して死を待つのではなく、闘う意志のあることを確認し、闘いの決意を込めて、3.26全国大会に行ってきます。
県高支部ニュースNo.35より