簡単な歴史
神戸港は、戦後1945〜1951、米軍の完全占領下にありました。1952年から一部撤収が始まりましたが、米軍基地としての神戸港は、朝鮮戦争・ベトナム戦争に利用され続けましたし、クリスマスには三の宮や元町に米兵があふれ、麻薬・武器などの暴力団への横流し、発砲事件等もあり、何よりも市民が暴行を受けるなどの被害が増えていました。1963年には、水爆搭載機の水没事故を起こした空母タイコンデロガも寄港しています。
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核兵器積載艦艇の
神戸港入港拒否に関する決議
神戸港は、その入港船舶及び取扱い貨物量からみても、世界の代表的な国際商業貿易港である。
利用するものにとっては使いやすい港、働く人にとっては働きやすい港として発展しつつある神戸港は、同時に市民に親しまれる平和な港でなければならない。
この港に核兵器が持ち込まれることがあるとすれば、港湾機能の阻害はもとより、市民の不安と混乱は想像に難くないものがある。
よって神戸市会は、核兵器を積載した艦艇の神戸港入港を一切拒否するものである。
以上、決議する。
一九七五年三月一八日
神 戸 市 会
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神戸港の米軍基地撤去の運動は、「平和で静かなクリスマスを」という「クリスマス闘争(1961年12月、神戸港で働く労働者を中心に行われ、毎年継続)」から大きなうねりとなって全市民へと拡がっていきました。
1974年になってようやく神戸港から米軍基地は撤去されましたが、その年、米議会でラロック証言「日本に寄港する艦艇は核兵器をはずさない」がありました。
翌1975年、神戸港で働く労働者が中心となって市議会に陳情し、
「核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否に関する決議」
という市会決議を全会一致で採択しました。
その後、それまで自由に神戸港を利用していた米軍艦は、その後一隻も入港できなくなりました。
この「神戸方式」の絶大な効果は、全世界の注目を集め、ニュージーランドでは、これを国の法律にし(1987年)、日本より先に「非核の国」を実現しています。
また、2000年5月に開催された国連NGOミレニアム・フォーラムでは、その最終宣言で、各国政府が取るべき措置として
「非核地帯のネットワーク……これは、艦船が核兵器を積載していないことを証明しないならば入港を拒否するという沿岸部の措置によって補強されるべきである」
と、神戸方式そのものが盛り込まれました。
神戸方式に対する激励と攻撃
今年は、被曝60年、神戸方式30年になります。
3月18・19日には、非核神戸方式の市会決議30周年を祝う集会が催されました。集会には北海道から九州まで、多数の参加者が、「非核の運動で、神戸に励まされたからこそ、未来を信じて自治体全体で運動を進めることができた」と、神戸を励ましに来てくれました。はるばるニュージーランドからも熱いメッセージを持って、バーニー・リチャーズ平和協議会議長が参加されました。
広島原水協からは、『LOVE9』のメッセージ・ステッカーが紹介されました。「憲法9条でいこう 戦争はしない。武器はもたない。」
その一方で、日本政府からの神戸方式に対する攻撃が強まってきています。一昨年あたりから、神戸市議会内部からでさえも、自民党の若手議員が神戸方式を攻撃するなど中央からの教唆を受けた発言が起こっています。
また、アメリカからも直接間接に圧力をかけてきています。
アメリカは在日米軍を「不安定の弧」に対する前方展開の司令部として再編しようとしています。そして、アジア太平洋地域での日米協力を確認した「日米安保共同宣言」をさらに進めて、「新共同宣言」を策定しようとうする動きもあります。
これらをはね返し、神戸港の平和を守り世界へ発信することが、非常に大切なことです。平和を求める全世界の人々が、憲法9条と、非核神戸方式を注視しているのです。
県高支部ニュースNo.39より