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退職に際して思うこと(4)
たのしいクラスづくりM工高3年間〜1(神戸県立支部)

2005年06月28日



退職に際して思うこと(4)

たのしいクラスづくりM工高3年間〜1

石倉 勝(神戸養護学校)

はじめに

 60年代以降、公教育の機会均等を目指して「高校全入運動」が進められる一方で、80年代には、中途退学者の続出という深刻な事態が続いていた。私が転勤したM工業高校でも、科によっては2割近い生徒が退学していた。

 こうした事態を解決するためには教育諸条件の整備こそが緊要であると私も主張する者だが、同時に「管理主義的教育」(=「生存競争教育」の補完)からの「落ちこばれ」も多いのではないかと自問する教師の一人でもある。

 M工高は、60代の「高度経済成長」政策の下、それに見合う労働力養成と人材開発の教育政策である「高校多様化」の一環として創設された。M、A、K、S、E、Cの6科10クラス。開設当初は、就職に有利という「社会的風潮」もあり、比較的成績良好な生徒たちが入学してきていた。
 しかし、やがて「「差別・選別」の教育システム」の中で生じた学校間格差(公立普通高校の総合選抜制はこの矛盾をかろうじて防御していたが)が「科間格差」としてM工高内に持ち込まれ、さらに、高度経済成長政策の破碇、不況期を境に、M工高は「底辺校」に位置付けられ、教育困難校の一つとなっていった。

 私が組合専従期間を終えて復職し、生徒指導部を担当した1982年、K科2年で、教師の授業の進め方が悪いなどを理由に集団授業妨害、対教師暴力、担当教師に謝罪を要求する校長への直訴状、担任拒否「運動」など2ヶ月にわたって紛糾したことがあった。
 C科の指導方法に対する不満がC科の担任でもあったA教諭に向けられたということもあったが、一部の教師が裏で支援していたために事態の収拾に時間を費やした。また、生徒指導が各科のイニシアチブで行われており、K科の指導の仕方を、非難も含めて問う声も多く、問題をさらに複雑にしていたのである。

 こうした状況の中で、処罰主義、管理主義が主張されていった。「事を起こせば親を呼び厳しく指導する。遅刻すれば、職員室で正座、掃除をさせる。忘れものをすれば、時間を問わず家に取りに帰らせる。自主性の尊重、自覚的規律などと言っていては、うちの生徒を甘えさせるだけで教育にならない。こうすればこうなると分からせる以外にない……」といった指導観である。正座させた生徒の頭を竹刀でこづきながら怒鳴っている姿に、見かねて声をかけたこともあった。

 その翌年、K科1年の担任を希望する者がなく、私が担任を引き受けた。
 十数年担任になれずにきた私にとっては願ってもないチャンスでもあったし、「自治の力をもった規律ある楽しいクラスづくり」に一度は挑戦したいという強い思いがあったからでもある。勿論不安もあったが、期待の強さがそれより勝っていた。

(石倉先生のお話は次回に続きます。)


2005県高支部ニュースNo.11より


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