Home支部・単組・分会より新着情報

たのしいクラスづくりM工高3年間〜5(神戸県立支部)

2005年09月06日



たのしいクラスづくりM工高3年間〜5
石倉 勝(神戸養護学校)

友情と連帯を求めて
    〜「卒業文集」に見る彼らの心情〜

(1)K科は団結力がある -------- 副会長のF

 彼はM科志望であったが中学の進路指導で「難しいから」とK科を勧められたのである。

 入学してビックリしたことは、まずきたないということ。そして、ケンカが多いことだ。K科だけが多かったのかもしれないが、僕は高校って弱肉強食の世界だなあと思った。ケンカの思い出は、K君の“ケリ”、M君の“ハリ手”、そしてY君とF君の鼻糞事件などである。ケンカで謹慎になる奴まで出た。
 くだらんことして可哀相にと思っていたら、僕はもっとくだらん「百合学園訪問事件」を起こして謹慎になってしまった。ほんまに情けなかったが、謹慎もなかなか楽しかった。

 謹慎中、級友は彼のためにノートをとり、昼休みには謹慎部屋に激励のシュプレヒコール? を送っていた。
 事件とは1学年の11月、彼をふくめ5人が授業を抜け出し、百合学園に出向いたところを追い返され、学園の 通告で発覚したものである。私はその当日、欠席していたKTの家を訪問し、事の顛末をつかみ、翌日4名を呼 び出した。そして、うち一番真面目だから1時間もあればすべてを話してくれるだろうと、Fから詰めたのであ る。
 しかし、それが誤算だった。彼は「友情と誇りに真面目だった」のである。彼の目に涙があふれ出し、頬をつ たって彼の膝の上のにぎりこぶしに落ちたのは3時間を越えていた。
 「君はTの辛さを知ってるか。何故彼が誰よりも早く、ガールフレンドのいることを吹聴し、みんなに女を紹 介したるなどとカツコつけるのか考えたことあるか?」
彼の父親は、酒飲みの「グータラ」で働かず、母親と夜間高校に通う兄のアルバイト料、そして彼の新聞配達に よる収入で、ぎりぎりの生活をしていること。彼のオンボロの原付は兄弟の「商売道具」であり、また彼にとっ て、男女の関係は父母の姿からの辛さをひきずったものであり、ゲス根性でひやかすことの卑劣さに気づかない のは、本当のところ友を大事にしていないからではないか、と迫ってからであった。

 2年になって、僕は学級委員長になってしまった上に、生徒会副会長になってしまった。僕は口ベたなので、 人前でしゃべるのはごっつい抵抗があったが、M工高生の前だけでなく、広島の「全国高校生平和集会」で、全 国から来た沢山な人の前でもしゃべった。本当にいい勉強になった。
 勉強といえば、テストだ。僕はテストがはじまるたびに、いつもM君、R君などや勉強が分からない時にはE 君やY君を呼んで、毎晩徹夜に近い勉強をし、いつも隣りにK君がいびきをかいて寝ていた。テストが近付くた びに思うことは、「これからは授業を真面目に受けよう」だが、テストが終わると解放感からすぐにテストの時 の苦しみを忘れてしまう。ほんまテストというのは焦らなでけへんと思った。

 今だから明かすけど、他の奴は知らんけど、僕はカンニングをしたことがある。
 今だから明かすその2。それはパチンコだ。F先生には言ったが、それは阪神尼崎駅近くの「太陽」という店 でのこと。僕とM君、O君の三人で入った。僕が中箱半分ぐらい出して、「さあ、これからや」と思っていると M君が肩をたたき、指差す方を見ると、二つ隣りになんとF先生が打っているではないか! 僕はあせった。
 せっかくの出る台をあきらめ急いで店を出た。話によるとM君はF先生に「この台どこに入れたらええんや? 」と聞かれたらしい。
 明かせば明かすほど、なんぼでも出てくるから、この辺でやめとかなヤバイナ!
 しかし、このクラスにはタバコ吸う奴もいっばいおれば、ホテルに行く奴もいるし、トルコじゃなくてソープ ランドに行った奴もおる。今の高校生って、すごいなアってつくづく感じた。

 話は変わるけど、K科というのは勉強はできない(?)けど、スポーツはできるし、団結力がある。先生の子 どもが障害を持って生まれたことを知るや、クラスのみんなで千羽鶴を折って贈った時など、今まで味わったこ とのない感動を覚えた。
 また、K・R・Y(在日朝鮮人生徒。彼ら三人は本名を名のり、卒業式では母国語で返事をした)が属してい た学生会のコンサートには、クラスの殆んどが見に行った。いつも強がっていた三人が涙を流しながら演技して いたので、こっちまで泣きそうになった。Rの演技といい、Kの舞踊といい、Yの緊張した歌い方といい、ほん まK科の奴らは、日頃の態度からは考えられないしっかりしたことをする。
 しかし、みんながこれだけ団結力があるのも、僕はやっばり、担任やK科の先生方のおかげと思う。おいらが もし、C科の生徒だったら、学校をやめていたかも知れないし、このクラスで卒業できたのは数人だっただろう 。ほんま、このうるさいクラスを受け持った先生、三年間愛想つかさずに面倒見て下さってどうも有難う。

(石倉先生のお話は、次号に続きます。)


2005県高支部ニュースNo.15より


パスワード