小泉首相たちが、「待ち組」という言葉を使い始めた。
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反省すべきは「待ち組」…首相、猪口少子化相ら造語で
(読売新聞 '06/02/05)
小泉改革の結果として「勝ち組」と「負け組」の二極化が進んでいるという批判に対抗するため、小泉首相や猪口少子化相が「待ち組」という言葉を使い始めた。
勝ち負けの“二元論”にくさびを打ち込み、改革の影の部分が論点になりそうな風向きを変えたいという思惑もあるようだ。
「待ち組」は、フリーターやニートなど「挑戦しないで様子をうかがう人」を意味する造語。猪口氏は1月31日の記者会見で、「『負け組』は立派だ。その人たちは戦ったのだから。本当に反省すべきは『待ち組』だ」と述べて、フリーターらの奮起を促した。
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ところで、言葉は、繰り返し使われているうちに、その正確な意味や語法が曖昧になり、何だかわかったようでわからないけど、何だか伝わっているみたいだ、というようになる危険性があります。「政治的に造られた言葉」では、特にそうです。
たとえば、「自己責任」という言葉がそうです。高遠さんたちの誘拐事件が解決して、本来なら彼女たちは、日本政府が(自衛隊を使って)進めようとしている「人道支援(*)」を一身に体現してきたのだから、英雄視されてもおかしくはないところを、日本政府は家族バッシングとともに、「自己責任」キャンペーンを張りました。その迷走ぶりは、時のパウエル国務長官でさえ眉をひそめたほど。
(*)今度、その「人道支援」部分のみを撤退するらしい。
で、その「自己責任」という言葉は、一体どんな意味を持っていて、それが実際にはどんな場面で使われているのか。
たとえば老人医療の問題でいうと、「顧客(老人またはその家族)のニーズの多様化に応じて、医療サービスを選べる」という前宣伝(キャッチフレーズ)のもとで、「選べない(ほど貧しい)のは自己責任」なのです。
たとえば今、学校現場で授業料滞納者が増えています。受益者負担なのだから、自分の子どもが高校生であるのなら、「授業料を払えない(ほど貧しい)のは自己責任」なのです。
ここで、次の記事を読んでください。
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▽「娘の学費に」命落とす低所得層
(中国新聞 '05/12/29)
一人娘の学費を優先し、がん治療が手遅れになった父親。ぎりぎりの暮らしの中、国民健康保険(国保)の保険料が支払えずに命を落としたといえる人にとって「医療」は遠く手の届かないものだった。
二○○一年十一月、脇腹を押さえた五十代の男性が妻に抱えられ、札幌市内の病院を訪れた。末期の胃がん。緊急入院したが、全身に転移していて手遅れで、約二カ月後に亡くなった。
男性はその八年前に勤務先の建築会社が倒産、入院前日までトラック運転手の仕事を続けた。月収は手取りで約二十万円。親子三人の生活費と一人娘の高校の授業料を払うのが精いっぱい。月二万円以上の保険料は払えず、一九九八年ごろから被保険者資格証明書の交付を受けていた。
資格証明書で病院に行けば保険が利かず、医療費はいったん全額自己負担。男性は「数カ月前から腹が痛かったが我慢した」と話したという。
『 国保「停止」の11人死亡 保険料払えず受診遅れ 』から
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この男性のどこに「自己責任」を求め、「負け組は立派だ」と讃えられるのか。小泉首相は、これまでの政策で「勝ち組」を勝ち続けさせるために「負け組」を拡大してきました。それを放置したまま、「これからチャンスをいっぱい提供して(小泉メルマガ)」と、ありもしない期待を忍ばせながら、「問題は待ち組だ!」と、世論懐柔を画策しています。
このような「言葉の欺瞞」は、ヒットラーからブッシュまで、連綿と続く犯罪です。
編集後記
★今、国民への攻撃があれもこれもとふりかかっている。★「官から民へ」と叫びながら、日本政府は、一体どんな日本社会を作るつもりなのか。★今度は、「勝ち組・負け組」の階層化批判から身をかわそうと、「待ち組」批判を始めた。★この責任回避政府は、また国民から逃げていく。
2005県高支部ニュースNo.35より