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尼崎セクハラ裁判:原告陳述書(神戸県立支部)

2006年02月28日



3月9日に、判決が出ます……(神戸地裁)
≪尼崎セクハラ裁判:原告陳述書≫

2005年11月 9日
原告:K.M.
 私は兵庫県の公立高校の教員です。304人の原告団の1人として陳述いたします。

 平成9年当初、当時の尼崎東高校の校長が尼崎市教育長へ出した報告(甲第9号証)をまず見ていきます。
「T教諭(当時)から、胸や臀部を触る、正座させて身体に触れるなど、性的嫌がらせを受けたと女性教員が訴えたこと。T教諭も概ねそうした行為があったと認めたが、合意の上であると主張した」
と、報告しています。

 「合意の上」ってなんでしょう。仕事上、上下関係ある場合は、ささいな形で始まる行為に異議は唱えにくいものです、それを都合良く解釈し、耐え切れず拒否してさえ、他人には「合意」と言い切るT教諭の厚かましさ。さらにこの裁判では「セクハラは疑惑に過ぎない」とまで証言しています。被害にあった女性教員が直接訴えた裁判では、T教諭は「認諾する」と、即、慰謝料を払い、裁判で真実を追求させなかった実績があります。今回も「疑惑だ」と強く言えば諸々のわいせつ行為を否定できるとでも思っているのでしょうか?

 そして同じ報告で、校長は、T教諭が女子生徒2人に
「スキンシップにより励ます意味も込め、臀部を叩いたり、また後ろから抱きつきヘッドロックをするなどの行為を行った。」
と書いています。校長とT教諭は生徒の自宅に謝罪に行っていますが、なにが生徒を励ます意味ですか! ぞっとするこんな行為を「励ます意味を込めて」と言い通す人、そのまま報告する校長の人権感覚の無さに驚きます。こんな校長だから、事件発覚後、校内で怒りの声が拡大したのです。

 さらに校長は書いています。
「女性教員への行為は教職員として助言にあたるものとは言い難く、女子生徒への行為は生徒に誤解を与えたという点で、配慮が必要であった」

 T教諭の行為はその程度のものでしょうか? 女性教員は、自分が女性であることを今回ほど悔しく思ったことはないと、いっそ死んでしまいたいとまで、苦しんだんです。女子生徒だって、ひょっとして顔は笑っていたかもしれませんが、それは相手が先生だからなのです。

 心は傷だらけでもそのまま表現できない、ここにセクハラの典型を見る思いです。

 私は「安心して学び働ける学校」にしたいと、組合で女性部の活動をしていただけに、被害にあった3人の方に、「本当に辛い思いをさせてごめんね」と言いたい。
 今回の訴訟の原告に現職の教員が多いのは、これが学校での事件だからです。事件発生後、年月が経過しても、加害者や兵庫県に、
「事実を明らかにせよ、そして謝罪せよ」
と言い続けるのも、学校が「そんな場所であってはならない」と願うからです。

 もう一度、尼崎市に出した校長の報告に戻ります。校長は、「このままの状態で新学期を迎えるのは校務運営上無理」とし「T教諭の配置転換を含めて、職員間の混乱収束を第一義に考えたい」と述べています。そしてその結果はご存じの通りです。
 無理な配転で、問題は尼崎東高校でとどまらず、広がる抗議の声を押さえようと、尼崎市は教員の強制配転を行いました。一方で、T教諭については、道理のない兵庫県への再採用を強行し、兵庫県全体の問題に広げたのです。その結果、T教諭の反省も成果もない研修が続き、県教委は教諭職であったのに学校現場に戻せず、定年退職させました。

 私は文部省(当時)発行「教育委員会月報97年7月号」で「小学校教諭セクハラ事件」の解説を見つけました。
「セクハラ行為は、(中略)場合によっては信用失墜行為ないし全体の奉仕者にあらざる非行に該当し得るから、(中略)上司がそれを放置した場合には、上司の監督責任が問われ得ることにも留意しておく必要がある。」

「『臭いものにはふた』方式で、一方的に男性職員をかばって女性職員の言い分を黙殺したり、調査もしないまま配置換えをしてうやむやにするといった対応は、問題を複雑かつ困難にするだけであるから、決してとるべきではないと思われる。」

 私はまさにその通りと思い、この記事を県教委に届けましたが、この文部省の見解をどう受け止めたのでしょうか?
 また県教委は県民には隠していたこの事件の経緯、研修の状況等把握していたはずです。なお、T教諭に給与を払い続けても、県民が納得するとでも思っていたのでしょうか?

 兵庫県がT教諭を採用直後、尼崎東高校生徒会は訴えました。
「(甲第41号証)県の教育研修所に異動、だけというのは納得できません。東高を出ていけばそれで良いという問題ではないからです。(略)そのうえ、何の反省もしていないなんて、教師としても人間としても許せません。このような人を、教育者と呼んでいる限り、教育の現場から「わいせつ」という言葉が消えることは、おそらくないでしょう。」
 この訴えを県教委はきちんと受け止めたのでしょうか。答えは「ノー」です。今回の裁判で、県教委は「セクハラは単なる嫌疑に過ぎず、再採用が当然である」とまで証言しました。
 これに対し、被害生徒の担任の先生は、
「安全であるべき学校で受けたショックは消えないのに、この証言はどれほど被害者を傷つけるか。まるで被害者が嘘を言ったかのように公の場で言われることはその傷をより深くえぐった
と怒りをあらわにしています。生徒会・担任、共に当時、被害者と共に苦しい日々を過ごした方々の重い発言です。

 T教諭が平成9年1月に県に採用された後、「自分が最後の被害者であって欲しい」と女性教員は勇気をふりしぼって、2月に民事裁判を起こしました。が、3月末には、自分や生徒を守った教員が強制配転にあい、一番期待していた事実の究明は、4月に、『認諾』という一言で終わりました。そんな中で救いは、彼女への慰謝料などをもとに作った「セクハラ基金」が、関東・関西で裁判費用に活用されたこと、解決に至ったケースが出てきたことです。「少しでもセクハラで苦しむ人を減らしたい」との彼女の思いが通じたのです。この裁判の判決で彼女や私たちの訴えを認めていただけたら、長年の心の傷も癒されることでしょう。

 繰り返しになりますが、セクハラは、重大な人権侵害です。ことに、学校での教師による生徒へのセクハラは、生徒の学習する権利に対する重大な脅威であり、絶対にあってはならない行為です。そして、教職員の使用者として責任を負うとともに、生徒の学習する権利を保障する義務を負っているはずの県教委が、今回の事件で見せた「黒を白」と言いくるめる姿勢、事実を明らかにしない逃げの姿勢が、その後も兵庫県で教職員による不祥事を連発させました。「男女共同参画基本法」等法整備が進み、国内的にも国際的にも、セクハラは、厳しく断罪するのが常識になっていますのに。

 最後に裁判官の皆さまへ。今回の住民訴訟において、じっくり審議していただきありがとうございます。いままでに私たちは、県教委に質問してきました、例えば
  「なぜ採用したのですか?」
  「尼崎市での事件を知っていますか?」
  「研修所で何年も何をしていますか?」
等々と。しかしほとんど答えがなかったのです。それが裁判の中で次々わかりました。

 そして県民を納得させる正義が、県教委とT元教諭になかったと確信しました。また、今まで民事裁判は傍聴者にとってわかりにくいもの、と思っていましたが、この裁判が、最後まで見える裁判であったことを感謝します。

 公正な判断を是非お願いし、陳述を終わります。


編集後記
★卒業式シーズン。東京を吹き荒れる嵐が不気味。★戒告から減給1ヶ月、さらに減給6ヶ月から停職1ヶ月へ、処分は拷問に近い。「君が代免職」という言葉も生まれた。★昨年暮には、生徒が不起立の場合、教員への命令を強化する、と。★「良心の自由」が失われたら、物言わぬロボットの教師が物言わぬ生徒を調教し、やがて「茶色の朝」がやってくる。

2005県高支部ニュースNo.38より


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