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教基法の改悪を許してはならない(4)〜教基法改悪で根本的に何が変わるか〜3〜(神戸県立支部)

2006年05月30日


教基法の改悪を許してはならない(4)
〜教基法改悪で根本的に何が変わるか〜3〜

 与党案第6条(2)に、次のような条文が新設されています。

 学校においては、(中略)この場合において、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない。

  これを作文した政府官僚は、現代の教育問題(例えば「学級崩壊」とか「努力せずに成果を欲しがる青少年たち」とか「ニート」とかの諸現象)に対する対策も含めて、「国を愛するという徳目」を、このような「管理」の下で「涵養」できると考えているのかもしれません。でもそれは、「責任転嫁」でさえなくて、「机上の空論」とさえ感じます。

 しかし、与党案は、それが可能となるような「絶対的な価値」を前提しているのです。他の条文を見てみましょう。
 現行の教基法第6条の2は、教員についての条項です。
 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。

それが、与党案では第9条として、
 法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は尊重され、その待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない
となっています。省かれたところと追加されたところとが、はっきりしています。

 まず、「全体の奉仕者」とは、現行教基法第10条の
「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って」
と響きあい、また、
「自己の使命」とは、「全体の奉仕者として(子どもの)人格の完成を目指す」ことにおいて、「不当な圧力から独立した使命」のことです。その「独立」のために、「身分は保障され、待遇の適正が期せられねばならない」のです。

 与党案がそれに「崇高な」という言葉を被せ、しかも「全体の奉仕者」を抜き去ったのは、この「使命」が、「(崇高な)国家目標に奉仕する」ことにある、ということです。そのための「研究と修養」に励み、さらに、教育行政を通じて、政府が、自らの方針に沿って策定する「(充実した)養成と研修」を教員に受けさせる、のです。そして、その限りで、つまり政府に従う限りで「身分は保障され、待遇の適正が期せられる」のであり、同じ文言が残されていても、その意味は正反対に変わる……「詐欺」そのものです。

 つまり、「絶対的な価値」=「国家なのです。それで、すべての徳目の強制が正当化されるのです。「机上の空論」に見えたとしても、それが強制されるのです

2006県高支部ニュースNo7より


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