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教基法の改悪を許してはならない(5) 〜教基法改悪で根本的に何が変わるか〜4〜(神戸県立支部)
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2006年06月06日
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教基法の改悪を許してはならない(5)
〜教基法改悪で根本的に何が変わるか〜4〜
与党案第10条で、「家庭教育」の項目が新設されていますが、初めて見る人は、驚くのではないかと思います。
| (1)父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。 |
家庭の教育力の低下が言われて久しいのですが、その「低下」がどのような内実を持っているのか、についてはまだまだ充分な議論が為されているとは思えません。
それにも関わらず、この与党案は、そんな議論の有無などお構いなしに、いともあっさりと、「家庭の責任ですよ」と言い切ってしまっています。
次の第11条では、「幼児期の教育」という項目を設けて、こんなふうに「行政が責任を持ちますよ」と言っています。
| 幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであることにかんがみ、国及び地方公共団体は、幼児の健やかな成長に資する良好な環境の整備その他適当な方法によって、その振興に努めなければならない。 |
こんなことをあからさまに言っていいのでしょうか。勿論、「幼児期の教育」は、その個人のその後の人生にとって、非常に大切な意味合いを持つ、ということは、精神分析等からも定説になっています。
でも、ここで言われているのは、国の求める人材路線(国の統制に従う人材を養成する路線)に沿って、必要な養成機関を用意しましょう、ということなのです。そんな路線が、実際に計算通りに働くとは思えませんが、これらの条文を議論した官僚たちは、他人の人生をそういうふうに操縦可能だと考えているのかもしれません。
その後の第12条は、青年や大人に対する「社会教育」の項目です。
| (1)個人や社会の多様な学習に対する要望にこたえ、社会において青少年及び成人等に対して行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。 |
ここで言われている「多様な……に対する要望」という言葉は、ここ数年、国と地方の両方で繰り返し繰り返し使われていて、政府にとっては、非常に便利な言葉のようです。
例えば、「学校の特色化」の根拠が「多様な教育に対するニーズ」です。介護福祉改悪の根拠も「多様な介護に対するニーズ」です。医療の民営化の根拠も「多様な医療に対するニーズ」です。
けれども、その内実は、「一部のエリートに手厚く、その他大勢は自己責任で」ということです。これは、政府による国民統制の、「多様なニーズ」への責任転嫁なのです。
以前、「揺りかごから墓場まで」というのが、福祉国家のスローガンとしてよく引用されましたが、この教基法与党案は、「揺りかごから墓場まで、国が教育を統制します」というあからさまな意図を、言葉の端々に隠しているのです。
2006県高支部ニュースNo8より
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